父の遺品整理

父の遺品整理でもっとも、頭が痛かったのは、
着もの関係でした。

実は、父は趣味で"民謡舞踊”というものをやっていました。

それこそ70歳過ぎてから始めたんですよね。

一度母がまだ存命中に誰に誘われたのか一度習いに行ったらしいんですが、母が教室に様子を観に行ったら、女性ばかりの中に男性は父一人だったそうです。

それを見て、母が激怒してすぐやめさせたそうです。

それが母が亡くなってしばらくしてから、行くようになりました。
誰かに誘われたのか、自分の意思で行ったのか定かじゃないですが・・・

私も、本音は反対でした。
母が嫌がっていたことですし・・。

でも、父が生き生きとしてやってるので何も言えなかったですね。
見て見ぬふりでした。

ここ後は愚痴になりますので、聞きたくない方はスルーーしてくださいね。



日舞もそうですけど、お金がかかるんですね。
発表会とか、色々なイベントに出たりするので、次々と着物を仕立てるんですね。

呉服店のお得意だったんでしょう。
京都に招待されたなんてこともありましたから・・。

派手な着物も多く、ショッキングピンクのものや黄色と赤のチェックですとかおよそ男性が着ると思えない着物も・・・・

女性ばかりですから皆さん、お揃いの着物を着るからでしょうね。

私は一度も発表会も観に行ったことはありません。
父のそんな姿見たくなかったですから・・・。

その当時の多数の写真を見て、呆れてしまいましたが・・・
弟も絶句でした!

想像して見てください。
いい年をした爺さんが、お化粧して派手な着物を着て女性ばかりの中で踊ってるんですよ。

自宅から着物姿で出掛けることも多々ありましたから、
ご近所で変わり者と思われていたと思います。

で、着ものがたくさんありまして女性用であれば、
リサイクルにでも持っていけばいいんでしょうけど、
男性用で父の体格に合わせて仕立てたものばかりですから、
売れないでしょうし・・・

捨てるのはもったいないしどうしたものかと悩んでいましたら、ローカル情報誌の「譲ってください」というコーナーに、某団体が「不要な着物・帯を譲ってください。作品作りに使用します」と出ていました。

聞いたことのある団体で、着もの地などでバッグや財布といったものを作ってバザーなどで販売して売り上げの中から、福祉施設などに寄付をしている団体なんですね。

これだと思って電話しましたら「喜んで頂きます」との事でした。
取りには来れないってことだったので、先日主人と届けてきました。

衣装箱3つ。
着ものは60枚ほどありました。
浴衣も数枚、汚れが目立ったものを数枚すでに捨てていましたから、
もっとあったんですよ。
それと帯が、段ボールに入っていたので数えませんでしたが10本以上はあったでしょうか。

これいったいどれだけお金がかかっているんでしょうね。

他にも舞扇が段ボール1個、編み傘やカスタネットみたいなものや踊りに使った小物など・・・
大半は捨てましたが、舞扇は新品同様のものが多く、
誰か使ってくれる人を探そうかと思っているんですが・・・

まぁ、とにかく父は昔から趣味に生きた人でした。

母と結婚した当初は楽団(と父は言ってました、今で言えばバンドでしょうね)に入っていて、ギターに相当お金を使ったらしいです。

それに飽きたら、詩吟を習って師範の資格を取り立派な看板もありましたが人に教えるでもなく、資格をとったら興味が無くなったんでしょうか。
やめてしまいました。

同時に写真もやっていました。
これは長かったですね。
私が物心ついた頃から高校生の頃までやっていましたから・・。

家の中に暗室を作り設備をそろえて、現像から焼き増しまで全部やっていました。
当然、写真クラブに入っていたんでしょうね。
モデルさんを使った写真がたくさんありました。

カメラにも凝り、勝手に次々買っては母ともめていました。

これらの趣味と並行してパチンコもやっていたんですよ。

当然、お小遣いなんかで足りるわけないですよね。

勝手に財形貯蓄をおろしたり、給与明細をごまかしたり、臨時賞与みたいなものは母に渡さず(社宅に住んでいたのですぐバレバレでしたが)とか・・・・
とにかく妻子のことは二の次、自分の楽しみのことしか頭にないような父でした。

休みなんて家にいた試しが無かったですから・・。

唯一の家族サービスは年に一度、旭川に遊びに行くということでした。
それも母が計画立てて無理やり父を連れて行ってたと思います。

弟のイメージでは母が連れて行ってくれて父はいなかったって言うんです。
間違いなく父もいたんですが、それほど弟にとっても父の存在感が無かったんでしょうね。

運動会の場所取りに行ったら場所だけとって、本人は雲隠れ(多分、パチンコだったんでしょう)そういう人でしたから。

自分のやりたいことにはお金に糸目をつけない人でしたから、母は本当に苦労したと思います。
年中、夫婦喧嘩が絶えなく私は詳しいことは知らなかったのでガミガミ怒っている母を見ていて、父が悪いんじゃなく我が家はかかあ殿下で、母が悪いんだと思っていたんですよね。

父が可哀そうと思っていたし、そういう母に嫌悪感を抱き常に反抗していました。

事実を知ったのは、母が亡くなる数年まえくらいからポツポツと母が語ってくれたことからでした。
事情も良く知らず、母には悪いことをしたと今でも思います。

それで疑問に思っていたこととか、つじつまが合わないなって思っていたことなどがピッタリ符合して、なるほどそうだったのかとかなり理解できた部分が多かったです。

母は、歳を取ってからお金が無いなんてみじめな思いはしたくないと、
常に言ってました。

遊び人の夫を持ち、子供にもお金がかかる中、必死にコツコツ貯めていたんだと思います。
自分のことは本当に辛抱していたと思います。

着物が、大好きな人でしたが高級品など一枚も無く、反物を買ってきて自分で仕立てて着ていました。

ただ、晩年は、頻繁に国内旅行して歩いていました。
旅行が大好きで、旅友達も出来て楽しそうでした。

それがあったのがまだ救いです。


只、母が亡くなった後母が苦労してコツコツ貯めたお金を父が自分の趣味に湯水のように使ったのは、母があまりにも可哀そうで腹が立ちました。

父が働いて得たお金かもしれませんが、父だけだったらお金なんて絶対に残っていなかったと思うので、もっと大事に使って欲しかったですね。

そんなことを、お通夜の時に弟とさんざん話していたので、2日後に膝が痛くなったときに父が悪口ばかり言ってと怒ってるのかもと思いましたが(笑)

母が入院する前、多分もう帰って来られないと予期していたんでしょう。
自分のそれまでの人生をまとめたノートを私に読んでほしいと持ってきました。

私はそれを読んで、すべてを知って母の苦労に涙しました。
母は、私にわかって貰ったということで、満足したんでしょうね。
母の死後、そのノートを探したんですがどこからも出てきませんでした。

もしかして父が・・・と思って聞きましたが、「知らない。どうせ俺の悪口が書いてあったんだろう?」って・・・

あのノート、母が処分したんでしょうか。
もう一度読み返したかったし、弟にも読ませたかったです。


晩年は、とにかく私たちに迷惑はかけたくないと言って、
父なりに努力はしていたようでした。
苦しむことなく逝ってしまったことといい、父にとっては、やりたいことをやりつくしていい人生だったと思います。


ただ、私は母の苦労を思うと涙が出てきます。

それで心のどこかで父を許せない気持ちがあって、こうしてブログにまで親の恥をさらすようなことを書いてしまってるわけです。

だからといって、なんだろう~?
なにか、心にわだかまりがあってスッキリしないんです。
父を許す気持ちにならない限り、この気持ちが続くのかもですね。


まぁ、長々と愚痴を聞いて頂いて有難うございました。






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theme : 家族
genre : 結婚・家庭生活

comment

その気持ち、よく解りますよ

ウチは女にバクチの毎日でしたからね
母ちゃんのグチはもっともだと思って聞いていましたが

やはりそういう旦那を持つ妻は強くならなければやって行けない部分もあるのでしょうね、

しかし、どんな事を言っても親は親で
どうしようもない事実なんだよなぁ、と、
先の見えない疲れた自分にガッカリ来た事もあります。

でも、亡くなってみると、意外に恨む気持ちはありませんでしたよ
これが肉親というものなのかなと思いました

こんにちは。

私の父親もいわゆる遊び人だったのでひどかったです。
病気が発覚後すぐ若くして亡くなりましたが、
母も私も苦労しましたね。

お通夜の時、親戚一同が悪口言ってましたからね・・・
でも、最後に「好きなように生きて、最期は苦しまずに逝って
大往生だったから良かったんじゃないか」って話してたので、
私も良かったんじゃないかと思いましたね。

ずっと父親が嫌いでしたが、今ではやはり懐かしいです。

そういうの多分、時間が解決してくれると思います。
ウチの父もそういう感じでした。
(今もそういう傾向がありますが)

私も母の日記を偶然見つけて読んだ事があって
でも母の死後、形見にほしかったのですが
多分、父が処分したのだと思います。
色んなものはそのままでも、それだけが無くなってました。

でもお父様も今は故人・・・
良い思い出ばかりにいつかなるといいですね。

私は母が元気な時に(こっそり)知って父を憎みましたが
母の死後、父しかいなくなってからは
何となく許してしまいました。

ワカメパパさんへ

> でも、亡くなってみると、意外に恨む気持ちはありませんでしたよ
> これが肉親というものなのかなと思いました

怨むところまではなっていないんですが・・

私は父に怒られたことが一度も無いんですよね。
そういう意味では、可愛がられていたとは思います。

ただ、母に対して愛情があったのかとか、
どうしてもっと母を苦しめないようにできなかったかとか考えると
許せない気持ちになってしまうんですよね。

多分、時間が解決してくれるでしょう。

milkywayさんへ

まぁ、milkywayさんのお父さんもですか~!

> でも、最後に「好きなように生きて、最期は苦しまずに逝って
> 大往生だったから良かったんじゃないか」って話してたので、
> 私も良かったんじゃないかと思いましたね。

うちの父もそうですね。
父にとっては良い人生だったと思います。

父は外面が良い人でしたから、
母と私と弟以外は誰も素顔を知らないと思います。

「いつも穏やかで、良いお父さんですね」って良くいわれるくらいでしたから・・。

実は、まだ父が亡くなったということが信じられないんですよね。
いつも座っていた場所にいないのが不思議な感じで・・・



ROUGEさんへ

> でもお父様も今は故人・・・
> 良い思い出ばかりにいつかなるといいですね。

確かに良い思い出もありますし、
父のこと嫌いかっていうと嫌いじゃないんですよね。

なんて言ったらいいんでしょう。
母にした仕打ちその行為自体が許せないっていうか・・・・

きっと時間がたてば、気持ちも変わってくるかもしれないですね。

自分の中で整理できない場合は、外に吐き出して少しでも楽になれば良いですよ!
自分が親になった時には、そうはならないぞと考えられれば、それはそれでいいと思います。

私の親父は、最後の最後で往生際が悪かったことくらいですかね(^^;)

ですから、私は潔く死にたいですヾ(´Д`;●) ォィォィ

ichigekiさんへ

> 自分の中で整理できない場合は、外に吐き出して少しでも楽になれば良いですよ!

それが、吐きだしても楽にならないので、
モヤモヤしているんですよね。

> ですから、私は潔く死にたいですヾ(´Д`;●) ォィォィ

父のばあうは潔い死にかただったと思いますが、
残された方が潔くなれないという・・・
困ったものです^^;
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